赤ちゃんが小さい・・胎児発育不全で死産予告から無事に出産するまで

長女(第二子)を妊娠中、”赤ちゃんはダメになる”と死産予告を受けました。

おなかの中で成長が止まっていたんです。ですが現在、娘は元気な5歳になりました。

3か月の入院を経て無事に出産した経緯や当時の気持ちを書いています。

◆注意◆

読む人によっては不快に感じる内容が含まれています。当時の素直な心境を書いているので、繊細な方はご注意ください。

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現在妊娠中の方へ

この記事にたどり着いた方は恐らく、”赤ちゃんが小さい”と言われ、心配して検索された方が多いのではないでしょうか。

私も”赤ちゃんが小さい”言われたときにさんざん検索して、数少ない妊娠中期の胎児発育不全(当時は子宮内胎児発育不全)の記事を読みあさりました。

私の場合は妊娠中期で、すでに小さかった場合で、妊娠初期や後期で胎児が小さい場合と少しお話が違いますので、ご了承ください。

当時の私と同じように不安な妊娠生活を送っている方の励みになればと思っています。

赤ちゃんが小さい

第一子を出産時は妊娠中に大きな問題もなかったし、周りの友人たちもみんな“普通”に妊婦生活を送って、無事に出産しているので、妊娠中に問題が起こるなんて想像もしてなかったので、いつも通り特に不安を抱えることなく、20週の検診に行きました。

このときのエコー写真を見ると、

EFW(体重)=215g

BPD(頭)=42.0mm

FTA(胴)=13.8㎡

FL(大腿骨)=23.9mm

SD= -2.2

です。

この時期の標準体重は、日本産婦人科科学会の資料によると313g、標準範囲の最低ラインは210g。
すでに、SD-2.2なので、かなり小さめですが、当時の私は気にしていませんでした。

この時先生に、『赤ちゃんが少し小さめなので、2週間後にもう一度診ましょう。エコーの誤差もあるからね』と言われ、2週間後に検診を受けることに。

この時に少し不安がよぎり、”赤ちゃんが小さい”と検索したら目に飛び込んできたのが”死産”という言葉。

ですが、当時の私は深くは捉えておらず、”自分に限ってそんなことはない”と思っていました。

妊娠22週の検診では、
EFW(体重)=283g

BPD(頭)=45.3mm

FTA(胴)=18.8㎡

FL(大腿骨)=24.2mm

SD =-2.8

この時期の標準体重は、469g、標準範囲の最低ラインは320g。

妊娠22週の検診の前日まで1泊2日で母の還暦祝いを兼ねた1泊2日の温泉旅行に行っていました。

旅行中、なんとなく”胎動が少ないなぁ”と思いつつも、まだ妊娠6カ月ということもあり、あまり気にせず過ごしていました。

エコーを見ていた先生が看護師に

先生『妊娠週数あってるのか?もう一度確認して』

看護師『(・・・)22週です。』

先生『(先生も計算して)・・・あってるな。小さいな。』

先生『(私に向かって)申し訳ないけどね、赤ちゃんダメになると思う。羊水も少ないし。』

私『え・・・?』

先生『胎動は?』

私『少しは・・・』

先生『・・・・』

先生『次の検診は1週間後?2週間後?』

私『え・・・?』

先生『じぁ、2週間後ね。それまでに、胎動が無くなったらそれはダメになったということだから病院に来てね。』

私『・・・』

先生『何か聞きたいことある?』

私『仕事は休んで安静にした方が良いのでしょうか?』

先生『言ったってどうせ休まないでしょう?』

(安静にした方が良いなんて言われたこともありません)

私『休んだ方が良いなら休めます』

先生『こんな状態になったら今更遅いよ。まぁ、おなかが張ったら休んでね。』

先生『じぁ、2週間後に』(病室から出ていく先生)

看護師『はい、じぁ清算でカルテ出してくださいね。』

私『・・・・』

診察終了。

こんな重大なことを伝えられているのに、誇張でも何でもなく、これが会話の全てです。

あまりにあっさりと告げられる事実に唖然としている私を、何のフォローもしない看護師はドアを開けて出て行くように促します。

ボーっとした状態で診察室から出されました。

清算を待つ間も、涙が溢れそうになるのを必死にこらえながら、清算を済ませ、自宅徒歩5分の距離を歩いて帰りました。

滲む涙を何とかごまかしつつ帰ってきたものの、マンションのエレベーターを降りた瞬間、堰を切ったように涙があふれてきました。

涙とともに嗚咽を止めることができません。

涙と震えでなかなか開けられない鍵を何とか開けて、部屋に飛び込み声をあげて泣きました。

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転院を決意

この時はあまりにも不親切な病院に対して不信感が強いのと、2度と先生と会いたくないという思いが強くて、紹介状すら取りに行きたくありませんでした。

『1つの病院での診断では納得がいかない。』との思いから、別の病院での診察を希望しましたが、当然のように『紹介状がないと診察すらできせん』と門前払いです。

そんな時にふと思い出したのが、実家から10分ほどの距離にある病院なのですが、主に障害のある子供とハイリスク妊婦のみを扱う病院です。

紹介状をもらった場合のみ診察してくれる病院なので、そもそも出産の産院選びの候補にすら上がっていませんでした。

だけど、もしかしたらこの病院なら診てくれるかもしれない。そう思い、電話をしてみました。

電話で事情を説明すると助産師さんにつないでくれました。
話をしながら、私は我慢できず、泣きながら診察でのことを話しました。

すると一通り話を聞いた助産師さんが

『それは、ツライ思いをしたね。とりあえず、早めに診察をした方が良いから、一番早い3日後の診察で予約を取ります。』

『紹介状はなくても良いけど、あるに越したことはないので旦那さんが取りにいけるなら持ってきてください』

『診察まではいつも通り生活しても問題ないと思う』

ということを言われ、3日後に診察を受けることになりました。

助産師さんと話をすると少しすっきりしたので、検診を受けている病院に電話をして紹介状を書いてほしい旨を伝えました。

1週間かかるという紹介状を無理言って翌日には出してもらいました。

主人が行ってくれると言いましたが、結局翌日自分で取りに行きました。

当時の心境

転院先の病院での診察までの2日間、さまざまなことを考えました。

なぜ、小さい=死産という結果につながるのだろうか?小さく産まれても元気に産まれてくる赤ちゃんはたくさんいるのではないか。

胎児が小さいから入院をしたという人がいるのに、なぜ私は入院の話すら出てこないのだろうか?

病院で聞けなかった疑問が次々に湧いてきました。

伝え方に問題があったにしろ、病院の先生も誤診という事はないだろうから、どこかで覚悟は決めていました。

うっすらとお葬式はどうするのだろう。お墓はどうなるんだろう。など考えてしまうこともありました。

残念ながら流産した方や、死産を経験した方が『次の妊娠があるから』と言われるとこの子はこの子しかいないと不快に感じる。という意見を読んだことがあります。

しかし、私はそんな風には思いませんでした。

最低な発言かもしれませんが、正直まだ見ぬ胎児であるおなかの子にそこまでの愛情が持てなかったというのが本心です。

産まれてくる事のない子供をお腹の中に留めておくことが辛く、もうダメならいっその事早くこの妊娠を終えたい。

そして、次の正常な妊娠をしたい。早く前に進みたい。とさえ思っていました。




転院先の病院での診察

いつも通りの日々を送り、転院先での診察日になりました。

主人と一緒に行くと気持ちが緩んでしまい、待合でも泣き出してしまいそうなので1人で行くことにしました。

診療科は胎児に問題のある可能性がある人が受ける科での診察でした。

優しそうな若い男性の先生で、はじめにエコーでの検査です。

通常の妊婦健診とは違い、かなり長い間エコーで診てくれています。

エコー後の診察で、

先生『確かに、前の病院での先生から言われていた通り、妊娠週数からみて胎児が小さすぎるので状態は厳しいと思います。』

先生『見る限り胎児側に問題がある所見はないし、胎盤の血流でも気になるところはないので、なぜ胎児が小さいのか現在のところ原因は不明です。』

先生『子宮内胎児発育不全(当時の呼び方)は原因不明のことが多いんです。』

私『なぜ、小さいというだけで厳しいという判断なのでしょうか?』

先生『これはあくまでも可能性の話で、今までの統計上この時期に胎児の成長が遅れている場合、無事に産まれてくる可能性が低いんです。』

先生『しかし、医者である私たちが言えるのあくまで可能性でしかありません。この子(胎児)がどうなるかは誰にもわかりません。』

私『赤ちゃんが小さくて入院するという話を聞くのですが・・・』

先生『はい。場合によってはうちの病院でも管理入院してもらうことがあります。』

先生『これも統計の話ですが、生存の可能性から考えて22週以降、500g以上であれば子宮内の状態によっては帝王切開で出産することを考えます。』

先生『私たち産科医が目指すのは機械でつながれてなんとか生きていける状態ではなく、障害があったとしても機械につながれずに生活が送れる状態での出産を目指しています。』

先生『だから、22週、500gという基準を超えた場合には管理入院をしてもらい、胎児の状態をチェックします。そして、少しでも胎児がしんどいような兆候が見られれば、帝王切開で出産を検討します。』

私『以前の病院で胎動が無くなれば、ダメになったということだと言われたのですが』

先生『診る限り、そんなに1・2週間でどうこうなるような状況には見受けられません。羊水の量も正常です。』

私『仕事は休んで安静にした方が良いのでしょうか?』

先生『いえ、特に安静にしても変わらないので、いつも通りの生活を送ってもらっていいですよ。』

前回の病院とは全く違う、こちらの話をゆっくりと聞いて、聞いたことにはきちんと答えてくれます。それまでは産科の先生といえば、いつも忙しそうな先生にしか出会ったことが無かったので、こちらの先生の対応には『こんな先生もいるんだ。』と良い意味で驚きました。

なぜ入院しないのか、なぜ小さいだけで可能性がないのか。ここの診察で抱えていた疑問が解決しました。

助産師との面談

初めてあった時に、電話で話を聞いてくれた助産師さんだとわかりました。

助産師『1人できたの?強いね。先生の診断は厳しい内容だったね。』

私『はい、まさか誤診ではないだろうとは思っていたので、覚悟はしていました。』

助産師『でも、先生や周りにダメだと言われても、最後までお母さんは信じてあげてほしいな。と思ってる。私たちもサポートしていくから』

助産師『出産はもともと出産予定の病院でする?』

私『こんな状況なので、出産の事なんて考えてませんでした。でも、こちらでお願いしたいと思います。』

その後は世間話のようなたわいもない話をして、終わりました。

すごく違和感を覚えたのが、『出産場所はどうしますか?』という質問。

その時は『なんでこんな残酷な質問してくるんだろう』と思っていました。

しかし、その後助産師さんと話していくうちに、赤の他人だけど、最後まで赤ちゃんの可能性を信じてくれているんだなぁと感じたのを覚えています。

転院先の診察はこれで終わりました。次回は1週間後の予約です。

24週の検診

転院先での2回目の診察は1週間後の診察予定が少し伸びて、24週での検診でした。

初めての時と同じように厳しい顔でエコーを見ています。
とりあえず、心臓は動いているのでほっとしたのを覚えています。

エコー後診察室に移動して、

主治医『予想していたより、成長しています。』

良い意味で予想を裏切られました。

この頃の正確な胎児の大きさを書いたエコー写真がないので、正確な大きさがわかりませんが、恐らく300g代だったのではないかと思います。

26週の検診

転院先での3回目の検診は2週間後の26週での検診でした。

主治医『今回も無事に成長しています。このままでいくと500gを超えてくると思うので、入院してもらおうと考えています。』

ということで、入院が決定しました。

この時のエコー写真にはサイズが記載されていないので、正確な大きさはわかりませんが、400g後半だったと思います。

それまでは、ただ生きて産まれてくれれば。と思っていましたが、私は欲深い人間なので生きて産んであげられるかもしれないとわかると、やはり胎児自身が問題を抱えているのかどうなのか。ということが気になり始めました。自分でも嫌になりますが、これが素直な気持ちです。

私『この子は何か大きな障害を抱えている可能性が大きいのでしょうか?』

主治医『可能性は完全に否定はできません。エコーでは見つからないものもあるので。ただ、エコーを見る限り、大きな障害がある所見はありません。』

この日は突然の帝王切開に備えて、心電図や内科の検診を受けました。
併せて、入院に必要なものなどの準備について説明を受けました。




入院

入院日まで特に問題もなく、会社で急な引き継ぎと必要な手続きをして入院日を迎えました。

看護師から病棟の使い方の説明を受けて、主治医と今後の話をしました。

主治医『500gを超えてきたとはいえ、まだまだ体重も週数も産まれるには早いことには変わりはありません。毎日NST(赤ちゃんの心拍を30分ほど掛けて計測する検査)を受けてもらって、赤ちゃんの状態を見ていきます。
子宮内の状況が悪くなったり、赤ちゃんがしんどいような兆候が見られるようであれば帝王切開で出産後、外で赤ちゃんを育てることになります。ただ、お腹の中の1日と外に出てからの1日は大きな差があるので、1日でも長く、1gでも大きくお腹の中で育てる事が目標です。』

入院中は、今のところ早産の兆候もなく、胎児のサイズ以外は問題がないので行動や食事の制限もありませんでしたので自由です。

順調に進む成長

入院中は1週間に1回エコー検査をしてくれていました。
以下、体重の推移です。
( )内は-2.0SD 標準値の最低ラインの大きさです。

  • 27週1日 570g(742g)
  • 28週1日 700g( 853g)/-2.9SD
    この頃になると、調子が良ければ外泊許可が出ました。結局、怖くてやめましたが。
  • 29週1日 845g(972g)/-2.8SD
    BPD(頭囲)70.2mm/-0.8SD
    AC(胴周り)194.2mm/-3.4SD
    FL(大腿骨)42mm/-3.3SD
  • 30週2日 998g(1098g)/-2.7SD
    “1000gを超えると格段に生存率が上がる”とのことで、第一目標でした。
  • 30週5日 1066g/-2.6SD
    BPD(頭囲)73.8mm/-0.9SD
    AC(胴周り)216.4mm/-2.5SD
    FL(大腿骨)45.3mm/-3.2SD
    ”どうしても”というなら退院も可能だけど、胎児が小さい場合胎盤剥離が起こる可能性が高いとのこと。胎盤剥離が起こると実家からの15分の距離ですら間に合わないので、やはり入院しておく方が良い。との事で、入院を継続することにしました。
  • 31週1日 1160g(1231g)
    この頃に、”頭への血流量が良くなっている”と言われました。これは良いことではなく、子宮内の状態が少し悪くなったので一番大事な頭への血流を増やしたということらしい。
  • 32週1日 1246g(1368g)/-2.6SD
    BPD(頭囲)77.4mm/-0.7SD
    AC(胴周り)225.0mm/-2.6SD
    FL(大腿骨)49.4mm/-2.7SD
  • 33週1日 1460g (1509g)
  • 34週5日 1610g (1649g)
    34週で最後の肺が完成するので、第二目標だった34週を超えてすごくうれしかったのを覚えています。あとは、正産期まで少しでも成長してくれることが目標です。

入院後は不思議と正常な妊娠と同じスピードで成長していたので、成長曲線グラフのずっと下の方を並行して成長していました。

主治医も今までこういったケースは診たことがないらしく、いつも不思議ですね~なんて言いながらエコー検査を受けていました。

-2.0SDまでが正常な範囲で、私は-3.0SD~-2.6SD辺りなので順調成長しているものの、小さいことには変わりありません。

この頃、頭のサイズはほぼ正常値に近いものの、大腿骨と胴回りが極端に小さいです。人間は栄養が足りない場合など一番大事な脳へ血液を優先的に回すそうです。だから、頭だけが異常に大きいとかではなく、正常な反応だそうです。




入院中の目標

入院当初は500gしかなかったので、とにかく1000gを越すことを目標にしていました。

1000gを超えれば大きな障害が残る可能性がぐっと下がるというような話を聞いたので、私の場合は週数が進んでいたこともあり、とにかく1gでも大きくと考えていました。(←すいません、根拠となるようなデータを見つけきれませんでしたので、違うかもしれません。)

都市伝説的な話ですが、赤ちゃんを大きくするのに牛乳に混ぜて飲む”ミロ”がいいと聞けば、夜寝る前に温めたミロを同室の妊婦さんと飲んだりしていました。

幸い、無事に1000gを超えることができたので、今度は体重よりも1日でも長くお腹の中で育てることを目標にしていました。

胎児の臓器で最後完成するのが肺で、完成するのがだいたい34週頃なので最終目標は34週を超えることでした。

様々な検査

主治医から胎児は順調に成長を続けているものの、やはり原因は不明なままなのでせっかく入院をしているし、できる検査はすべて受けておきましょう。と提案がありました。

心エコー

心臓の専門医が普段のエコーよりより詳細に胎児の心臓を検査してくれます。

特に心臓に問題を抱えている場合は、産後時間をおかずに治療が必要になるケースが多いようです。事前に心臓の問題があれば早く把握した方が出産方法の選択や手術の予定など事前準備ができるので、知っておくにこしたことはない検査です。

暗い部屋で医師2人が心臓の血流や心臓をいろいろな角度から検査した結果、特に問題はないとのことでした。

妊娠糖尿病の検査

母体側に問題がある場合にも胎児発育不全を引き起こす場合があるので、念の為に検査を受けましたがこちらも問題ありませんでした。

血液検査

『プロテインSの数値が低い』とのこと。この”プロテインS”というの血液凝固に関する成分らしく、数値が低い方が血液が固まりやすいそうです。

妊娠すると出産時に大量出血をふせぐためにも数値が下がるのが一般的なのですが、それを踏まえたとしても数値が低い。とのこと。

しかし、エコー検査での血流など総合的に見て、これが原因とは言えないようです。

MRI検査

胎児を断面図で撮影をして精密に検査してくれます。エコーで見つからない問題が見つかることはあまりないので、受けなくてもいいんだけど時間もあるので、受けましょうといったくらいの感じで受けました。

早ければ2・30分ほどで終わるはずだったのですが、こんな時に限ってお腹の中で活発に動くので撮影ができず、50分ほどかかって終了しました。

検査結果は特に気になる点はありませんでしたが、別の問題として目の横に白い塊が映っていたので、37週に再度MRI検査を受けましたが、診断結果は脂肪の塊で問題ないだろうとのことでした。

無事に迎えた37週

目標としていた34週を超え、胎児の体重も1500gを超えてきた辺りから、当初心配していた生きて産まれてくるのか、未熟性はどの程度なのかというような心配はほぼなくなってきたこともあり、待ちに待った37週を迎える頃には早く退院をしたくて仕方なくなっていました。

この頃のエコー写真はあるものの、体重を記したものが無く記憶が定かではないのですが、恐らく37週には2000g前後くらいだったと思います。

37週0日の標準胎児の最低ラインが2058gなので、標準枠に届きそうなくらいまで成長をしていました。




迎えた出産

入院生活を終わらせたい一心で、臨月を迎えると同時に陣痛を誘発するという階段の上り下りを開始しました。37週4日目も地下から4階までを3往復したら、夜中の23:30頃に陣痛が始まりました。

夜中から陣痛が始まり、陣痛室兼分娩室へ移動しました。

私は超安産型で、長男は初産ながら陣痛開始後5時間で産まれました。出産が立ち会いは夫婦ともにしたくない派なので、とりあえず仕事中の主人に連絡だけして、病院には実母に来てもらいました。

軽い陣痛のまま朝を迎えた朝の7時頃に主治医から『赤ちゃんが小さいので出産後に万全の態勢を取りたいので、新生児科の先生などが揃っている日中に出産できるようにしたいと思います。促進剤を投与して日中の出産を目指しましょう。』と説明がありました。

朝の8時前頃から促進剤を投与してもらうと、急激にお産が進み9時前には産まれました。

あまりに急に進んだので、先生が入ってきた時にはもう産まれていました。長女はすぐにキレイにしてもらい、元気な産声を上げてくれました。

すぐに新生児科の先生が来て診察後『今のところすぐに対処が必要な大きな問題も見受けませんので、病棟に戻ってから通常の新生児検診に行きます』というような説明を受けました。

その後、カンガルーケアを少ししたものの、体が小さいので体温が下がりやすいらしく、すぐに温かい台のようなところで寝かされていました。

産後しばらくして、助産師さんと話をしたところ、胎盤が小さい場合やへその緒の一部が極端に細くなっている場合などが原因で赤ちゃんが大きくならない場合があるようですが、私はどちらの状態も一般的で問題ありませんでした。

結局胎児発育不全の原因は不明です。

最後に

今、妊娠中で赤ちゃんが小さいといわれて不安を感じている方に、『赤ちゃんを信じて』とか、『大丈夫だよ』なんて言葉は軽々しく言えません。お腹の子を案ずる気持ちは何を言われても消えるものではないと思うので。

ただ、私みたいな例もあるんだよ。ということで、少しでも励みになれば幸いです。

長々と書いてきましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

産後の入院や退院後の成長については別記事にまとめています。

【胎児発育不全】3ヶ月の入院後、小さく産まれた娘の成長記録

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